2021.06.01
皆さんは山賊を警戒しながら移動したことはありますか?
昔はラオスの首都ビエンチャンから古都ルアンパバーンへのバス移動で山賊が度々出没しており、外国人旅行者を含む多くの人が犠牲になっておりました。
2002年当時、しばらく鳴りを潜めていたので、推奨されている飛行機ではなくバス移動を選択しました。
朝出発したトラックバス(トラックを改造したバス)は順調に走り昼食休憩となりました。
ここまでは安全地帯で、問題はこれから始まる山道です。長閑すぎて山賊なんて都市伝説かと思うほどです。
さて、昼ご飯を食べてバスに乗り込むと、出発直前に拳銃を持った私服警官らしき人が乗り込んできました。どうやら護衛のようです。都市伝説ではないようです。
バスは山道に入りました。馬力の無いトラックバスは断崖絶壁の登り坂を悲鳴を上げながらヨロヨロ進みます。走った方が早いです。これは山賊が出たら逃げ切れません。すれ違う人間が全て山賊に見える。
こういう道はバスやトラックが崖下に転落しているのをよく見かけ、特に夜の移動は命懸けですが、これだけノロノロ走って逆に怖いというのは初めてです。普通は自分のバスがチキンレースをしないことを祈るので。。。
遂に危険地帯を抜けた時はホッとしました。やはり、山賊はもう過去のことなのか。
そして、自分が乗ったちょうど1年後、山賊が再び活動を開始。多くの人が殺されました。
人の世は運不運ですね。皆さんも山賊には気を付けてください。
2020.11.30
海外に行けないので、久しぶりに過去の旅を振り返ります。
今回は私が泊まった安宿たちです。(2001年当時)
①中国の開封。 部屋の電気のスイッチが何故か外にある。寝る前に必ず1回外に出なければならない。 夜寝ている時、服務員オババが突然鍵を開けて覗き込んできたのには驚いた。看守か!
②パキスタンのカリマバード。 フンザ日本人安宿御三家の1つハイダーイン。高齢のハイダー爺は日本人バックパッカーの人気者。 最初に宿帳のノート1頁分が自分のページとなり、毎日飲食した物や宿泊数を自分で更新する。 完全自己申告制。日本人の間ではズルする奴は許さないという雰囲気があった。
③インドのダージリン 丸2日かけて夜到着。疲れ切っていたので客引きの青年について行く。 カラスは鳴いていないが真っ暗で不気味な洋館。ホテルサインも無く個人宅と区別がつかない。 青年が戸を叩いて出てきたのが、ハイジのアルムオンジみたいな人。まだ顔が険しかった初期の頃の。。 これ、サスペンス劇場だったら、オレ完全に殺される役でしょ!泊ったけど。2泊したけど。昼でも怖いけど!
④タイのメーホンソン 不定期で首長族の村に闇の宿泊ツアーをしている宿の主人であるジーンはいつも酔っぱらっている。 何故か「10バーツ!」と叫ぶ。ヤバいので、みんな宿代は奥さんに渡す。 首長族の村に向かう朝、ジーンが腕を痛がっている。 昨夜いつものように酔っぱらっている時に奥さんに木の棒でぶっ叩かれたらしい。 この男が運転する車で山道を行くのが怖い。
2020.01.14
今回はスペインのバルセロナをメインにアンドラとカタールにも行ってきました。
初日は旧市街を散策して、夜のサグラダファミリア鑑賞。
2日目は、カタルーニャ音楽堂、カサミラ、グエル公園などなど。
3日目は、満を持してサグラダファミリア。オープン時間の9:00入場予約して、ほぼ一番乗り。外も凄いが中も素敵です。
メインイベントの後は残りの観光ポイントへ。
4日目、元日はスペインとフランスに挟まれた小国、アンドラ公国に日帰り旅行。バスで3時間なので気軽に行けますが、特に見どころはありません。
5日目、朝バルセロナを出発して、夕方ドーハに到着して1泊しました。何度も来ているけど、いつも単なる乗り継ぎでカタール入国は初めて。スーク(市場)が思ったより面白かったです。
翌日、諸事情で香港経由(1泊)して帰国の途につきました。
2019.08.26
月日が経ちましたが、GWはウズベキスタンとトルクメニスタンに行ってきました。
まずは手間の掛かる陸路国境を越えて独裁国家トルクメニスタンに入国。最大の目的はダルヴァザの地獄の門。ずっと燃え続けています。この日は近くでテント泊。
翌日ウズベキスタンに再入国してヒヴァへ。城壁内の旧市街が世界遺産に登録されているシルクロードの素敵な街です。中世の面影がきちんと残っています。
次の街も世界遺産のブハラ。
そして、次の街も世界遺産。アレキサンダー大王も絶賛した青の都サマルカンド。
やっと訪れることができた憧れの国。とにかくレベルが高い!
2019.04.08
昨年末は中南米4ヶ国を弾丸旅行してきました。
コロンビア、グアテマラ、エルサルバドル、ホンジュラスです。
訳あってLAX→MEX経由なので、アメリカとメキシコを含めた6か国に入国しています。
9日間のうち飛行機に乗らなかったのは2日だけでした。
まずは、コロンビア。麻薬組織との内戦が終結して旅行しやすくなりました。エリアにもよりますが、夜の一人歩きも大丈夫でした。時間的に首都のボゴタだけですが、歴史があり、落書きが芸術レベルであり、街歩きが楽しい所です。写真に写っている肉はカピバラです!
次は恐怖のグアテマラシティへ。まだ命が惜しいので一番安全なエリアに宿泊。それでも、夜食事に出かけるときは久しぶりに緊張した。7時で深夜みたいだし。。。ヤバイよ。
ここを拠点に2日連続日帰りで隣国のエルサルバドルとホンジュラスに行ってきました。
エルサルバドルはマイナーな遺跡ばかり。1つは世界遺産だけど。。。昼食で食べたウサギがとても美味しかった。ロブスターまるごと海鮮スープもなかなか。とても意外。
ホンジュラスは同じ世界遺産でも有名なコパン遺跡。
3泊したグアテマラは、アンティグアにもティカル遺跡にも行っておらず、また行かなくては。飛行機の乗り過ぎ(+ラウンジ)で3キロ太りましたとさ!
2018.11.12
今の中国からは想像できませんが、初めての海外旅行で中国を個人旅行した1990年当時は凄い世界でした。今では経験できない当時の状況を振り返ります。
【1】今は人民弊だけですが、当時は外貨兌換券というものがあり、両替するとこの子供銀行のようなお金を受け取ります。名前の通り外貨に再両替できるお金です。お釣りはほぼ人民弊なので、使い切らないと国外では紙切れになります。今じゃ信じられませんね。
【2】外国人料金がありました。鉄道などは中国人の2倍でした。ただ、外国人専用窓口があったのは良かった。人民の窓口は長蛇の列で数時間待ちも!ダフ屋で人民料金の1.5倍で切符を購入したこともありました。
【3】配給切符がありました。船で一緒だった中国人の家に泊めてもらいましたが、穀物等の配給切符が国から貰え、月餅などもこれで購入できます。切符専用の食堂もあり、お金は受け付けないので外国人は基本的に利用不能。中国人に連れて行ってもらったので、貴重な体験でした。小籠包を初めて食べたのがそこでした。当時、自分も含めて小籠包を知っている日本人はあまりいなかったのでは。
【4】家にトイレが無い!泊めてもらった中国人は医者だったけど、家にトイレが無かった。地域ごとに公衆便所があるが、5-22時しか開いていないので、夜に洗面器を渡される。
【5】外国製品は、大都市にある友諠商店というデパートのみで購入可能。但し、外貨または外貨兌換券しか使えないので、庶民は買えない。売っている商品は古臭いものが多かった。
【6】当時の庶民の平均月収は5000円くらいで、医者でも1万円程度。
【7】ホテルは外国人に一番高い部屋しか泊まらせない。巨大なホテルなのに常に安い部屋は「無い!」と言われる。北京のトップレベルのホテルの一番高いスイートルームが2000円くらいではあったが。。。
【8】売店で指をさして商品を求めても「無い!」と言われる。粘ると逆切れされる。
【9】レストランでは、食事中の骨や紙など全て床に落とす。慣れない習慣である。
【10】冷たい飲み物が無い!一部の高級ホテルやレストランしか冷蔵庫が無いので、ぬるいコーラかスプライトしか選択肢がない。瓶のみで正規品ではない。
【11】稀に冷房がある喫茶店があったが、別途空調代を徴収される。
書ききれないのでこのへんでおしまい。