食事後、待ちに待た兵馬俑坑に行きました。大きい体育館のような一号坑にはいると、整然とした兵馬俑が眼下に広がり出迎えてくれます。圧巻‼1974年に地元の住民により発見された兵馬俑坑は、秦始皇帝陵を取り巻くように配置されており、3つの俑坑には戦車が100余台、陶馬が600体、武士俑は成人男性の等身大で8000体ちかくあり、みな東を向いているそうです。この周囲にも広大な未発掘箇所があるが、発掘と同時に武士俑の表面に塗られた色彩が消える可能性があることなどの理由から、調査がなされていない。また最近、兵馬俑が放火で焼かれたとみられる痕跡が大量に見つかり、発掘隊関係者は紀元前206年に秦朝を滅ぼした項羽(紀元前232~同202年)が「人為的な放火」で破壊した兵馬俑ではないかと考えられている。確かに土が黒く焦げているところを見ることが出来ました。
一号坑を見終えて、二号坑、三号坑と歩みを進めていくと、なんと凛々しい兵士の像。こんな兵士に守られた秦の始皇帝の時代は強大な国だったのだろうと想像できます。”奇貨居くべし”の呂不韋を思い出すのは私だけではないと思います。強大であったからこそ滅びていく秦国。やがて項羽と劉邦の戦いとなり、圧倒的に優勢であったが99勝して1敗で天下を取ることが出来なかった項羽、最後まであきらめず戦い、1勝で天下を取った劉邦。考えさせられます。2回目の”来て良かった~”。
続きはVol.5で!
先日は、最近出来たショッピングモールに行きがてら、「生シラス丼」を食べに
湘南テラスモールを訪れた。
最近は本当ショッピングモール増えましたよね。
この辻堂は昔は何もない本当に殺風景なただの田舎街だったのに、開発につぐ開発で今では整備されたとてもオシャレな街に変貌。
まぁ、ショッピングモール楽しいから好きなんでいいんですけどね。
しかし、混んでいる・・・人、人、人。
泣き叫ぶ子供、喧嘩しているカップル、お互い同時に違う話をしている老夫婦、カツアゲしそうな兄さん(土地柄か・・・)
まるで地獄絵図・・・とまぁそんな環境の中、広い館内を歩き回りヘトヘトになったので、本日の目的の「生シラス丼」を食べに、いざお店へ!
ありましたありました。
湘南で有名な「しらす問屋とびっちょ」
問屋ってw
いざ!!!!!!
なッ
何だと・・・そんな馬鹿な・・・。
遅かったというのか・・・
食べれないと思うともの凄く食べたい・・・食べたいッ
ということで来週こそはと、リベンジを誓った日でした。
皆さんもぜひ「生しらす丼」お試しあれ。
なんだかんだとありながら、最初の観光地、華清池に到着。ここは玄宗皇帝と楊貴妃のロマンスの舞台。美人で聡明な楊貴妃は玄宗皇帝の寵愛を一身に集め、745年に皇后に次ぐ高位「貴妃」となったのです。(本名は「楊玉環」といいます)以来、玄宗皇帝は毎年秋から春にかけ、ここ華清宮で楊貴妃とともに過ごし、享楽の毎日を過したそうです。享楽の毎日なんて、羨ましいですね。
お風呂をいくつか見た後に昼食(西安料理)。飛行機の遅れとかで旅行2日目の昼にしてはじめてまともな食事を取りました。食時の場所は日本で言えばドライブインのようなところで(このあとも全て)ボリュームだけは、これでもかとでてきました。もちろん食時の友、青島ビールで喉を潤し、紹興酒で舌鼓。やっぱり地元のものはうまい。1回目の”来て良かった~”。
続きはVol.4で!
Vol.1で掲載したように、北京空港は昨日の影響で搭乗カウンター前は大混雑。奥ゆかしい日本人には、アノ中国人の図図しさには対抗すべくもなく呆然としていると、正義の味方の中国人男女が登場。我々の荷物を持ってカウンター前に割り込んで搭乗手続きを代行。HIS(旅行代理店)も粋な計らいをしてくれる。と思っていたところ、手続き終了のあとに突然お金の要求。一人あたり100元を要求。なんだ、こりゃ!騙された事にやっと気づき、半分だけ払ったのですが、男が独り占めして知らんぷり。手続きは女性のほうがやっていたので、かわいそうに思ったのですが、すがってくる女性を後に搭乗手続きに急ぎました。よくよく考えれば、中国人に我々がHISのツーリストなんて分かるわけがないんだけど。よっぽど呆然としていたんだと思います。
9時30分に西安に到着。当然現地係員が待っているものと思っていましたが、お迎えはなし。昨晩我々が到着していないのだから、当然現地係員は朝から北京からの便を待つでしょう。我々の現地係員(HIS)はいなかったのですが、JTBの現地係員が連絡をとってくれて途中まで送ってくれることになりました。40分位車に揺られて現地係員(HIS)のもとに。現地係員(HIS)は悪びれる様子もなく、出迎えなかった事を詫びるでもなく、人ごとのように”大変でしたね、でも本日は予定通り回ることができます”。なんて、しらっと話していました。今日の見学のメインは、兵馬俑です。これだけが心配だったので一安心でしたが、なんとなく腹立たしかった。本日は予定通り回ることができます。の意味もこのあとの展開でよく判りました。続きはVol.3で。
6月9日(土)より5日間の日程で、中国西安・北京に格安ツアーに行って参りました。成田より15:10に出発、北京に18:30に着き20:30に西安行きに乗り継ぐ予定でしたが、17:30に着陸。早いなと思い降りる用意をしたら、なんとそこは大連空港でした。北京は大雨で着陸することが出来ないため大連空港に降りて待機。大雑把な連絡だけで細かい説明はなし。かつ、北京での乗り継ぎが間に合うかと聞くと、根拠無くみんな遅れているから大丈夫と即答。さすが中国???
大連に約1時間待機して出発。1時間遅れで北京空港に到着。なんとか間に合ったと掲示板を見ると、ローカルはすべてストップ。チャイナエアラインのカウンターにいき、翌日の西安行きのチケットと今日の宿泊場所をやっとの思いできいて、宿泊ホテルへ。交渉をした友人は宿泊ホテルはペニンシュラらしいと言っていたのですが、到着してみるとなんとも言えぬ、大きいだけの場末のビジネスホテルでした。手続きと夕食を終了し、就寝したのが25時位。翌日は5時30分ホテル出発。右の写真が夕食と翌朝空港カウンターで発券をまっている人たちです。
ここで第2の事件発生。この続きはVol.2で!
先週の土曜からとうとう関東も梅雨入りですね。
なぜ「梅雨(つゆ)」と言うのかと言いますと、もともとは中国から「黴(かび)」の生えやすい時期の雨と言うことで「黴雨(ばいう)」として伝わりました。
しかし、日本では「黴」と言う言葉は語感が悪いので、同じ「ばい」でこの季節に合った「梅」の字を使い「梅雨(ばいう)」とされたそうです。
それが、江戸時代頃より「つゆ」と呼ばれるようになりました。
「梅雨」は俳句の世界では「夏」の季語となるようです。有名な俳句として、与謝蕪村と言う俳人の詠んだ
『五月雨や 大河を前に 家二軒』
と言ううたがあります。
意味は「降り続いた五月雨のせいで水かさが増した大河が轟々と流れている。その大河の前に家が二軒立っているが水の流れに今にも押し流されてしまいそうだ」とその情景を見た与謝蕪村の心情が詠まれています。
…って、のんびり俳句作ってないで助けろや!と言う突っ込みをしたいところですが、この俳句を「名句」だと後世まで残させる与謝蕪村のパワーってすごいなぁとなんだか感心してしまいました。
さて、梅雨と言えば、あじさい。あじさいと言えば鎌倉の成就院ですよね。
縁結びでめちゃくちゃ有名なお寺さんです。恋愛成就と関係なく行ってもあじさいが見事です。
平日に行くと観光客も少なく、一面のあじさいに落ちた水滴が光り、なんともノスタルジックな気持ちにさせてくれます。古都京都も素晴らしいですが、日帰りで鎌倉めぐりなんてのもなかなかオツなんじゃないかと思う若林でした。
しかし、そこには重大な問題が!
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