村上隆「五百羅漢図展」
先日、「村上隆の五百羅漢図展」にいってまいりました。
村上隆はもう20年以上前から有名ですね。私が彼の名前を知った頃、すでに賛否両論の扱いでした。
個人的にはポップアートとビジネスを両立させることによって、芸術活動を展開していく方法論の潔さはとても好きです。
ウォーホールも肖像画の受注販売をやっていましたし、ポップアートってそういうものなのかもしれません。
で、「五百羅漢展」ですが、いってみて感じたのは、作家が生きていると、展覧会全体を統括できていいな、ということでした。
生きていれば口出しくらいするだろうって感じなんですが、村上隆の場合はそれが徹底していたんですね。本人が考えたのかどうかはわからないですけどね。それを言ったら作品も本人がひとりで作っているわけではないですし。ダミアン・ハーストなんかもそうですが、今は作家本人がこつこつひとりで作業する時代でもないんですよね。
「五百羅漢展」には大量の作品が展示されているのですが、おそらくどれも「虚無」を表現したものと思われます。この虚無は、どうしてもウォーホールを連想してしまいます。あの大量生産されたマリリンやらキャンベルスープ缶なんかですね。ああいう「虚無」を、村上隆も、大量の労力とお金、人間を使って制作し、大量に作って展示しているんです。すべては無なんだ、っていうテーマを感じました。
ちなみにこの展覧会、スマホや携帯のカメラでの撮影が自由なんです。これは、作品の複製が大量に世界中へ発信されるということを意味するので、まさにポップアートの神髄だな、と。同時に、来場者が展覧会の広告をしてくれることにもなる、という。
そのようなわけで、隅から隅まで計算しつくされた感のある「五百羅漢展」でした。
僕も村上隆に敬意を表して、無料で展覧会の宣伝広告に協力することにしました。