大竹伸朗展
大竹伸朗のことは村上隆のインタビューで名前だけ知っていた。
村上隆は学生時代に大竹の作品を見て、ずいぶんとインパクトを受けたようだ。
大竹の作品は「記憶の集積」なのだと思う。時折ふと思い出す過去のイメージだけでなく、スクラップブック、どこかで拾ってきたもの、記憶に残っている音、など、広い意味での記憶のことだ。
記憶は堆積して、コラージュのように合体し、変形・変色する。それが大竹の作品なのだと思う。記憶は可視化できるのだ。
このアイデアに触れて思い出したのはジェフ・クーンズの「ラビット」だった。「ラビット」は空気人形のウサギをモチーフにしている。デュシャンの「泉」が捨てられた便器にいくら値段をつけるか?という問いに対して、「空気だったらいくらになる?」という回答を返したわけだ。その流れでいくと、大竹の作品は「記憶にはどのくらいの値段をつける?」というアンサーなのだと思う。
抽象的で個人的な「記憶」を、可視化して販売する、というアイデア。ここに大竹のオリジナリティがあると思う。
記憶とは、そういうものかもしれない。蓄積して、発酵して、変形する。自分だけのものだと思っていても、実際には他人から聞いた話なども混ざっている。それでも、集合体として見た場合、それは人それぞれ違う。
雑誌や新聞の切り抜きや、写真などをべたべた貼りつけたスクラップブックは、
大量に出回っている素材を使っているが、スクラップブックそのものは、作った人の個性がにじみ出る。
今の時代は紙のスクラップブックを作る人は珍しいかもしれない。しかし、instagramやgoogle photo、evernoteなど記憶を集積するツールはたくさんある。大竹はそれをアートとして表現した。そこに彼の斬新さがあったのだと思う。