2014.06.03
最近のトピックスですが、先月行われた、長男小学生生活最後の運動会というイベントよりも、
重大なことがおきました。というより、ボクの勝手な決意により実行されたものでした。
前回のブログでも紹介しましたが、去年の10月に家族として迎え入れた
生後10ヵ月の仔犬「ミルク」のことです。
結論から言いますと、先週末(5月31日)ミルクは避妊手術をしました。
犬の個体差もありますが、だいたい6か月〜8か月前後で発情期がやってくるので、一般的には生後3〜5か月くらいに避妊手術を済ましたほうがいいといいます。
(犬ってとても成長が早いですね。)
ですが、手術はお腹にメスを入れるという行為そのものや、全身麻酔をするということは、かなり仔犬の体に負担をかけるみたいで、
なかには生後2年過ぎてからのほうがいいという獣医もいるくらいです。
避妊手術する・しない。または避妊手術の時期の早い・遅い。
いずれもメリットとデメリットがあります。
早い時期に避妊手術をすれば「卵巣腫瘍、子宮蓄膿症」の発症を予防でき、「乳腺腫瘍」の発症率を下げることができるといわれ、
2013年の統計では避妊手術をおこなったメスは26.3%寿命が伸びたという報告もあります。
結局は、一日でも長く生きていてもらいたいから(確率の問題ですが)
一般的な方法を選択してしまいました。避妊手術という手段を…。
(ごめんよーミルク。君には意見や権利はないのだ。でも君の気持ちをぜひ聞いてみたい…。)
ちなみに、ミルクは生後10ヵ月ではあるが、発情期はまだきていません。
ちょっと成長が遅い子なのかな?
それで、手術当日…。
手術は午後からですが(一泊二日のお泊まりです)、術前に血液検査をするので
朝10時30分に動物病院にミルクを連れていきました。
そしておそるおそる手術の同意書にサインをしてその場を去りました。
これから何が起こるか知る由もないミルクですが、物哀しげにボクが立ち去るのを見つめていました。なにか胸にグサリと刺さった…。
ほんとこれでよかったのかな? 今でも後悔みたいなものを感じている。
(人間って身勝手な動物だ…。)
さてさて、ミルクの避妊手術に関して長々とボクの心中を綴ってしまったが、
冒頭で述べた「重大」なこととはこのことではありません。
その「重大」なこととは、いつのまにか妻や息子にもこの仔犬を家族として受け入れられていたことを実感したことでした。
夕方6時過ぎ、診療時間が終わればミルクと面会できるということなので、ボクは野暮用があったので「6時に家に帰る」と娘につたえて出かけた。
そして6時に家に戻り、ビックリした。
娘だけでなく、家族全員面会へ出かけるスタンバイをしいていた。
娘のために買ったミルクであるが、もともと妻と息子は犬を飼うことに反対していた人たちだ。
(前回のブログでも少し触れていたが…)
しかしどうやら二人ともミルクの心配をしているようだ。
なんか感慨深いものがあり熱いものが胸に込み上げてきた。
ミルクもこれでひとつ家族の一員に近づいたかな?
これがボクにとっての「重大」なこと。
生活を共にし、喜怒哀楽を一緒に過ごし、芽生えた心境の変化…。
そして動物病院に着き面会。
エリザベスカラーを纏い疲れ果てたミルクは
なにか冷やかな目でボクを見つめていた。
「よくもお腹を裂いてくれたでつねーっ!」
「痛いでつよぉーーーーっ!!!!」
そんな気持ちかな?
今度は胸が苦しくなった。
「お疲れ様、ミルク。明日いっぱいご褒美あげるね…。」
そして翌朝、なぜか6時起床…。
お迎えの時間の昼12時までとても長い。
暇だったので、ミルクの部屋を念入りに掃除してしまった。
11時30分になった。
いよいよ、いざ!!
「よーし! 迎えにいくぞーーーーーーーっ!!!!!!!!」
おかえり…。
2014.06.02
2014.05.27
先日、実家の母親から連絡が来て「母の日に足利フラワーパークに連れていけ」との事。
なんて、図々しい要求なんだ!
確かに、母の日ですから親孝行するのは息子の役目なのですが、母親自ら“母の日の親孝行”を要求されるとは思っていませんでした…。
毎年、カーネーション的なもの(嫁にまかせて)送って、お茶を濁していたわけですが、今年は“どストレート”な要求をされてしまい、拒否するわけにもいかないので、仕方なく(?)連れていきました。
まぁ、花に興味のない私にとっては、足利くんだりまで行って花を見てもなんにも面白くなかったのですが、母親は喜んでくれたようです。
便乗して付いて来た親父まで喜んでいたので、一応親孝行(親父含む)はできたのかなぁと思いました。
その時の写真をちょこっと載っけておきます。
花が好きな人は楽しいのかもしれませんね。
2014.05.19
今の超高級マンションに住み始めて早14年(!)
怪しい人たちが住んでいたり、マンションの前に死体があったり、夜中の2時に部屋のチャイムが鳴ったり、突然火災報知器が鳴ったりするなかなかヘビーな所でしたが、とうとう引っ越しをすることにしました。
東京に出てきて16年ほどになりますが、本格的な引っ越しは初めてで、いろいろ手探りで進めているのですが、とにかくめんどくさい!
いろいろめんどくさい!すげーめんどくさい!
とは言っても、すでに事が進んでしまっているので投げ出すわけにはいかず、必死に準備をしているところなのです。
そんなこんなでヘビーなマンションでの生活もあと数日。
部屋は段ボールだらけで足の踏み場もない(ホントにないんです)ですが、残りの幽霊マンション生活をエンジョイしたいと思います!
2014.05.12
旅に出ると、不思議な人たちに出会うことがよくある。
思い出すままにいくつか挙げていこうと思う。
1.中国の洛陽から西安へ夜行バスに乗っていた時のこと。車掌が走行中に突然ドアを開け、身を乗り出した。何をするのかと思って見ていると、なんと放尿を始めた。二度と見られないであろう凄い光景であった。私用でバスを止めなかったのだから、ある意味偉い。
2.中国の張掖から嘉峪関に向かう長距離バスの車内で、それは起きた。家族らしき数人が運賃を払っておらず、車掌が払えと言っても無視。しまいには逆切れする始末。あっけにとられて見ていると、「払うまで出発しない」と言って、車掌がバスを止めてしまったのである。ここから車掌と無賃乗車客との睨み合いが続いた。短かったのか、長かったのか、今では覚えていないが、しぶしぶ金を払ってバスは無事に再出発したのである。全く意味が分からない。絶対に分からない。永遠に分からない。
3.パキスタンのラホールからインド国境行きのバスに乗っていた時、隣に座っていた爺さんが手のひらサイズの紙袋に入ったお菓子を食べ始め、無言で俺の前に差し出した。明らかに「お前も食べろ」ということなのだが、こちらを見ることなく真っ直ぐ前を向いている。言葉が分からなくても、大抵は現地語で何か言葉を発するのだが。シュクラン(ありがとう)と言って2~3個つまんで食べると、爺さんがまた食べる。そして、また無言で前を向いたまま差し出す。俺食べる、爺さん食べる、俺食べる。このやりとりを繰り返してお菓子は無くなった。何事も無かったかのように2人とも無言で前を向いたまま。そして、爺さんは最後までこちらを向かないまま無言で降りて行った。不思議な時間だった。でも、何故か心地よかった。外務省から国外退避勧告が出ていなければ、出会わなかった筈の人である。
4.インドには乞食がたくさんいる。家庭を持っている乞食も珍しくない。手足の無い乞食もいっぱいだ。子供時代に親に切断されるらしい。バスや列車に乗っていると、両足の無い乞食が手にサンダルを嵌めてピョコンピョコンと跳ねてくる。すぐに慣れてしまう。コルカタに滞在していた時、宿の近くに片腕の無い乞食が常駐していた。アクティブなインド乞食の中では逆に目に留まる。片腕が無いだけなら特に気に掛けないのだが、彼は常にうつ伏せで、腕が無い方の肩をピクピク動かし続けるのだ。彼の前を通る度にピクピクしているか、つい確認してしまう。毎日毎日ピクピクしている。やっぱり、インドは凄い。
2014.05.01